ワイルドで行こう

「なにそれ。つまり、もう一度、うちの仕事をしたいってことでしょ」
「違うよ。三好社長は琴子を大事にしているだろ。だから挨拶をしてから、琴子を引き取りたいんだよ」
「嘘。それを理由にしてもう一度、ジュニア社長に会いたいだけでしょ。出戻りに妻を使ったと思われるのが嫌だから、再契約がまとまったら仕事場では私は目障り、だから辞めさせようとしているんでしょっ」
「なにいっているんだよ。そんなことだけで、この指輪まで用意しない」
  そうかもしれない。ただ離れて寂しく思ってくれたのも本当なのかもしれない。でもきっと仕事もそろそろ上手くいっていない頃だとは思っていた。ジュニア社長からも『やっぱりアイツ、向こうで切られそうだぜ』と聞かされていたから。関係ない、もう関係ない――と言い聞かせた。でも、彼がこの三好堂との契約を自ら切ったのは琴子がいたから。仕事で出逢った恋だったから、やはりそこは琴子も関係ないわけでもなかった。だから……。
 でも、ひどい。三好社長と顔を合わせ辛いから、なんなく会える理由にアシスタントの琴子と復縁して、なんなく気兼ねなく近づけるために『結婚』を利用するだなんて。三十を超えた女の焦りとか寂しさとか、そんな弱さを上手くついている『思いつき』だと思った。
 琴子はもう一度、手放したダイヤの指輪ケースを手に取った。また雅彦がほっとした顔。徐々に腹立たしくなってくる。
 今じゃないのよ。母のことも、結婚も、いまじゃないの! もっとずっと前なの!!
「雅彦君」
 ケースをどんとテーブルの上に置いて、琴子は彼を睨んだ。
「決めて。私と貴方は結婚……」
 そう言いかけた時、琴子の隣に誰かがどっかりと座り込んだ。途端に煙草の匂い、そして汗くさい男の……。
「なんだよ、これ。ぜってえ、許さねえっ」
 琴子が触っていたダイヤのケース、それを彼が手にして、雅彦の手前に突き返していた。
「え、英児……さん」
 いつもの匂いが隣に。そして、いつもの薄汚れた紺色作業着姿で。それに指輪を返した手先も黒ずんでいる。あの指先。
「だれ……。え、どなたですか」
 雅彦の、ぽかんとした顔も腹立たしい。すぐにピンとこないその鈍感さと、『琴子にはまだ男がいない』と信じ切っているその感覚が。
「私がいま、愛している人」
 そういったら、やっと雅彦が電撃に打たれたようにびくっと背筋を伸ばした。
 でもそれは。隣の、やっぱり突如として現れる兄貴も同じようだった。面前で、彼女が、離れていた彼女がきっぱりと『愛している』と言ったからだろうか。
 夜空の向こうがピカピカと光り始め、琴子の傍にある窓ガラスに小さな雨粒がキラキラと流れ始めていた。



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