ワイルドで行こう
「勿論。いまは余裕がない女だからさ。そんなこと出来るかって突き返されたんだけどな。というのも、親父さんが一人にさせられること、女房を連れ出すことを許さないだろうから。俺も向こうの親父さんの気難しさを知っているから、親父の前では萎縮してしまう千絵里が親父さんに逆らうことが難しいのもわかっているんだけどよ」
「そうだったの。千絵里さん、お父様には逆らえないの……」
「逆らえないとかじゃなくて、あの親父さんが誰の言うこともきかねえの。女房や娘の気持ちなんてこれっぽっちも考えてくれねえ親父なんだよ。親父の指示以外に提案をするなんて皆無に等しいんだよ」
ワンマン経営者だと矢野さんが言っていたことを、琴子は思い出す……。
「俺と結婚を決めた時も、まあ、仕方がないって顔だったよ。何故、一人娘の結婚を許してくれたかと言えば、俺が経営者を目指す三男坊だったからみたいだな。後々、婿養子だとかなんとか考えていたんじゃねえかな。まあ、俺も同じだけど、千絵里も解消後はさんざん親父に『恥をかかされた』とかなんとかこっぴどく言われたみたいなんだよな。それで神戸に逃げたというのもあったのかもしれない……」
一時黙った英児が、ため息をつく。
「俺も悪かったと思っている。俺も家族に婚約解消をした時は特に親父にさんざん小言を言われて、余裕がなかったのもあるけど。男としてもぜんぜんなってなかった。俺もな、いまでも実家に帰ると年取った親父がつい昨日のことのように何度も何度も当時の文句を言うんだよ。兄ちゃんと義姉ちゃん達が慰めてはくれるんだけどよ。やっぱ耳痛いし古傷えぐられるんで、実家に帰るのはすげえ気構えがいるんだよな」
だから。矢野さんが帰省後の英児の様子見に来る――ということになっていたようだった。
「それで、千絵里さんはどうしてこなくなったの?」
「俺が集めた資料がいつのまにかなくなっていた」
「それって……」
英児が頷く。
「それから。俺の家に通っては来るんだけれど、癇癪が収まってきた頃を見計らって玄関の鍵穴を変えたんだよ。ちょうど業者が鍵穴を交換しているところに、千絵里が自宅からやってきてさ。黙って静かに見ているから、もう解ってくれたと思って『今度こそ、鍵を返してくれ』と言ったら、すんなり返してくれたわ」
そして英児がその時の千絵里さんを語る。
『馬鹿じゃないの。もっと早く変えればいいのに。もっと早く私から鍵を奪い取ればいいのに。彼女だって連れ戻さないでほったらかしで。馬鹿じゃない』
淡々としたあの顔に戻って、すんなりと返してくれたとのことだった。