ワイルドで行こう
琴子はその段ボールにしゃがみ込む。
まだピカピカで油もこびりついていない、傷もない、赤い鍋に触れる。
――『母ちゃんとうまくいかなくなった』。
あの後、英児が話してくれた詳しい話を琴子は思い出していた。
――『千絵里は、優等生でテキパキしていて気の利く女で。周りからも俺にはもったいない良い嫁さんになれる出来た女性と言われていたほどで』。
もともと、千絵里さんのお店に英児のお母さんが服を買いに行く常連客だったとのこと。たくさんは買わないけれど時々。それでもお母さんが行けば、千絵里さんが見立ててくれていたとのことだった。だから英児よりも先に顔見知りだった二人の方が仲が良かったぐらいだったとか。
――『ある時、母ちゃんが袖丈を直したジャケットをどうしても取りに行けなくて、俺が取りに行った。それがキッカケで』。
販売という天職に邁進する女と、車が好きで好きで仕方がなくその仕事一本、経営者を目指していた男。似たもの同士の二人が惹かれ合うのに時間はかからなかったという。母親との関係も元より上々、結婚話もスムーズに進んだ。
なのに。結婚を目の前にして破局。どうして? 琴子の問いに英児も逃げずに伝えてくれた。
――『嫁になることが決まっていて。何事も気を利かせる千絵里の性分が裏目に出た』。
結婚目の前。その時既に、英児の母親はベッドから起きあがることもほとんどなく、寝たきりの治療になっていたらしい。介護をしていたのは義理のお姉さん二人。
――『姉ちゃん達がやっているからと、千絵里も手伝うとはりきってしまって』。
そこで英児が言いにくそうに口ごもった。いつも言いにくそうに黙ってしまうところはそこ。『ヤンキーのくせに』と千絵里さんに言わせるまでこじれてしまった原因がそこにあると琴子は感じていた。それを英児が言おうとしている。でも言いにくそうに……。
やっと英児が教えてくれる。
消え入る声で聞こえたことに、琴子も固まった。
それは。不自由になった英児の母親の下の世話のことだった。
――『そこで義姉ちゃん達と千絵里の差がはっきり出てしまったんだよ。義姉ちゃん達はもう母ちゃんと何年も一緒にやってきた家族なんだけど。千絵里はもう嫁同然でも、ぜんぜん家族ではなくて』
そこまで世話を焼く千絵里さんのことを有り難いと思いつつも、英児のお母さんのストレスがたまっていくのを、義理のお姉さん達が察知したとのことだった。