ワイルドで行こう

『おはようございまーす』
 一階から武智さんの声が聞こえてきた。暫くすると矢野さんの声も。『おーい、タキ。まだ寝てるんじゃないだろうなー。いつまでもカミさんといちゃついてんじゃねーぞー』なんて、毎度のからかいが聞こえてきた。
「じゃあね。英児さん。行ってきます」
 やること素早い旦那さんは、もう新聞を読みながら琴子が作った朝食をとっているところ。
「気をつけて運転しろよ。あ、今夜もお母さんのところに集合な」
「わかりました」
 琴子も綺麗に身だしなみを整え、新婚の家を飛び出す。
「おはようございます。ガレージ、私が開けておきますね」
 一階事務所で開店前の準備をする武智さんに声をかける。ネクタイ姿の眼鏡の兄貴が『いってらっしゃい』と微笑んでくれる。
 整備ピットのシャッターとガレージのシャッターを同時に開ける。
 ガレージには顧客の車に代車。そして滝田社長の愛車が並んでいる。黒く光り輝くスカイライン。そして琴子の愛車となった銀色のフェアレディZ。奥には紺色のシルビア。だが琴子は愛車のゼットの傍に行かなかった。
「今日のお相手、よろしくね」
 赤い車体を撫で、琴子はその車のキーを運転席ドアに差し込んだ。
 エンジンをかけ、クラッチを踏みギアを動かす。ドルンとエンジンが唸ると同時にアクセルを踏みハンドルを切った。
 ガレージを出た時、ちょうど矢野さんがピットに入るところ。琴子はいったん停車をして運転席のウィンドウから叫んだ。
「親父さん、おはよう。行ってきます」
「おう、琴子。気をつけ……」
 乗っている車を見て、矢野さんもぎょっとした顔。
「おいおい。琴子。それちゃんと旦那の許可とってんのか」
 琴子は悠然と微笑む。
「まさか」
 矢野さんが青ざめる。そして二階に向かって叫んだ。
「おーい、英児! カミさんがハチロクに乗っているぞ!!」
 その一声一発で、琴子の旦那さんがリビングの窓に姿を現す。
「こ、琴子、待て!」
「これ、借りていきますねー」
 赤いトヨタ車の運転席から二階にいる旦那さんに琴子は手を振る。
 今日の相棒にと琴子が選んだのは、トヨタ車のカローラレビンAE86。通称『ハチロク』、英児のレビンは真っ赤な車。それを旦那さんの許可なしに、ガレージから出してしまったところ。
 旦那さんに捕まらないうちにと、琴子は『ハチロク』のアクセルを踏もうとしたのだが。
「待てと言ってるだろが、琴子!!」
 彼の本気の叫び……。それが判ったから、黙って旦那さんの愛車をくすねていこうとした琴子は流石にブレーキを踏んだ。

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