ワイルドで行こう

 バックミラーに、紺色の作業着をざっと羽織りながら駆けてくる英児の姿。
 やっぱり、まだお前には無理って怒られるのかな。黙って乗っていかないと、いつ乗せてくれるかわからないんだもの。
 貴方の愛車、私も同じように感じて乗りたいだけ……。
 ぶすっとした不機嫌そうな顔で英児がレビンにやってくる。だが矢野さんもはらはらした顔で英児の後ろにくっついてきた。
「英児、もう諦めろや。お前のカミさんもすっかり生粋の車好きなんだから、好きなだけ乗せてやれよ」
「うっせいな。親父はあっちに行ってろ。俺と女房の問題だ」
「あんだと、お前がつまんないことでガキみたいに憤慨するからだろ」
 矢野さんが新婚夫妻の間で『車が原因の喧嘩』にならないように気遣ってくれているのがわかる。
 眉間にしわを寄せ、強面の旦那さんがレビン運転席の赤いドアを開ける。
「ご、ごめんなさい。これだけまだ乗ったことがなかったから……」
 険しい眼差しの英児が琴子を見下ろしている。
 だが、次には英児が直ぐ傍にしゃがんでくれた。琴子の目線になって、落ち着いた静かな眼差しを向けてくれる。
「お前、これ初めての車だろ。そこんとこ忘れずに気をつけて乗れよ」
「う、ん」
 え、乗せてくれるの? 怒られなかった。
「それからよ。忘れているだろ」
 なにを? 首をかしげた途端……。運転席にすっかり収まっている琴子に英児がキスをしてくれていた。驚いて目を見開く琴子だったが、英児の後ろにいた矢野さんも『ひゃー』と後ずさっている。
 抱きたい時に抱く。俺の鉄則。キスしたい時にキスをする。俺の鉄則。またそう言われそうな気がした――。本当にストレートで素直で、そのまんまで生きている旦那さん。
 だけど唇を離してくれた英児はもう笑っていった。
「車に乗る前のまじない」
 え、そんなの。あった?
 唖然とした顔をしていると、英児がまた笑う。
「いま、出来たんだよ。ここまで乗りたがりの女房になるとは思わなかった。大事に乗れよ。二度と乗れない車にすんなよ。それからお前が一番大事。これに乗って帰ってくるのを待っている旦那がいること忘れんなよ」
 確かに。運転にだいぶ慣れた。スカイラインもゼットも琴子は乗り回している。そこへ来て、すっかり運転に魅せられた妻がまた新しい車に乗り始めたので、旦那さんとしてここは一つ厳しく引き締めておこうと思ってくれたようだった。

< 267 / 698 >

この作品をシェア

pagetop