ワイルドで行こう

「もうさ、気にすんな。俺もうっかりだったんだから。ゼット持ってきたから、帰りはそれで頼むよ。外回り行くから、キーを交換してくんね」
「わかりました。待っていてね」
 『わかりました』って、ほんときちんとしているお嬢さんだよなあと感心してしまう。でも英児は『そーいうとこ、すげえイイ。すげえお気に入り』とついつい口元が緩んでしまいそうになり必死に堪えた。
 事務所奥にあるロッカーまで行く彼女。入れ替わりで三好ジュニア社長が、英児の目の前にやってきた。
「なあ。滝田君。琴子にあれはないだろ」
「え、彼女がなにか」
 三好ジュニアの背中の向こう、事務所片隅のロッカーからお気に入りの洒落たバッグを取り出す彼女を、三好ジュニアがちらりと肩越しに見ながら喋り始める。
「ゼットに若葉とか、スカイラインに若葉とかさ。いきなり乗せるんだもんな。よく許したな」
 いえ、それだけ彼女が運転できるようになって俺も嬉しいんです。とは、流石に言えず、ただにっこりと返すだけの英児。
「それに、うちの印刷所の男共もすげえびっくりしているんだよ。みんな、琴子が慎ましく大人しい女の子だって知っているからさ。今朝だって琴子がぶっといマフラーふかしてスカイラインでやってきたもんだから、従業員が駐車場に集まる集まる」
 あ~、そうなんですかあ。と、英児もそこは苦笑い。男達の気持ち、わからないでもない。英児のような車屋の男ではなく、運転席から降りてくるのはお洒落なOL姉ちゃん。この会社に長く勤めている彼女が走り屋旦那の車で出勤してくる姿を目にして、工場にいる顔見知りの兄貴や親父達が黙っていられずに車を囲む様子が目に浮かぶ。
「上司の俺よりぶっとんだ車に乗ってくる若葉ちゃんってなんだよ。思わずセリカを出してしまっただろ」
 ああ、やっぱり。と、英児は笑う。
「お子さんも大きくなられてきたようですし、大事にとっておいたほどの愛着なのですから、そろそろ乗られた方が車にもいいかもしれないですよ」
「だよな。そう思ってさ。なんか、琴子が楽しそうに乗ってくるのを見ていたら、俺も学生時代に乗り始めた頃のわくわくした気持ちを思いだしてしまったもんな」
 そんな言葉を聞くと、車屋の男としてはとっても嬉しい。しかも顧客の、自分が良く整備している車がまたオーナーの手によって走り出し、またオーナー自身が楽しんでくれることが。その上、その気持ちを思い出させたのが、車屋の嫁さんになる彼女を見て……と知ると、本当に車屋冥利に尽きるというもの。
「自分もまさか。彼女がここまで車を好きになってくれるとは思っていなくて……」
 英児自身もそれは予想外の宝物が手に落ちてきた気分でいる。

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