ワイルドで行こう

 本日の母娘の喧嘩はまさにそれだった。娘が選んだドレスを母親が『なんだか琴子らしくない』と否定し、母親らしく娘にとても似合うドレスを勧めると娘は『それはダメ』と拒否する。そこで母娘が通じ合えず衝突――という経緯。
 鈴子母はそんな娘と婿の婚前交渉など知らないから、どうして娘が母親として一番のアドバイスをしているのに受け入れてくれないのか、通じないのか。非常にもどかしく思っていたことだろう。
「うん。わかってる。私の好きなようにするね。でも……お母さんが選んでくれたようなドレスのことも考えてみるから」
 母娘がどうやら互いの真意を知って、仲直りをしたようだった。
 それでも。英児は寝室のドアの前で一人。複雑な思い。鈴子はきっと、娘が早く子供を授かろうとしている気持ちを知って理解してくれたのだろう。義母の声が聞こえる。『琴子の好きにしなさい。そんなことだったなら、貴女の好きなドレスにしなさい』。娘が本当に似合うドレスがどれかわかっていながら……。でも娘の気持ちを第一にして、母親として選んだドレスのことなど綺麗さっぱり忘れてしまうことだろう。
 そして琴子も――。英児の為に早く賑やかな家族をつくってあげるんだというその気持ちもあるだろうが、もう一つ。『親が元気なうちに、孫の顔をみせてやらなくちゃ』と……それもあるのだろう。片親を、特に自分を案じてくれた母親を結婚のごたごたに巻き込んで傷つけたまま逝かせてしまった英児には痛いほど分かる。そんな母親だからこそ、英児も『孫の顔ぐらい見せたかったな』と思っている。救いは、亡母には既に孫がいたこと。しかし鈴子と琴子は違う。鈴子にとっては一人娘の琴子からしか孫を見ることが出来ない。それを琴子も良くわかっているのだろう。しかも彼女は父親を未婚で亡くしている。きっと父親にも見届けて欲しかったはず……。孫の顔を。その上、母親も生死をさまよい、後遺症を残しつつもなんとか娘の元に帰ってきてくれたのだから。両親を一度に失うような思いをしたことがある一人娘の琴子には、さぞかし怯えた日々だったに違いない。焦る気持ちは、夫になる英児のためだけじゃない。『親が元気なうちに。親はいついなくなってもおかしくない』。それを体験している琴子だからこその焦りが、英児には良くわかる。
 だからこその『早く授かりたい』。
 だが。英児はそこで強く拳を握って決意する。息を深く吸って、電話を切った琴子が俯く寝室へとドアを開ける。
「英児さん。帰っていたの。お疲れ様」
「おう。なに、お母さんに電話したのか」
 手に握りしめたままのピンク色の携帯電話。琴子もそれを見つめて、素直にこっくりと頷いた。

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