ワイルドで行こう
英児は事務所を出て、代車に子供を乗せている香世へと駆け寄った。
「おい」
香世が振り返る。
「英児君が好きそうな人だったね。優しそうで上品そうで、いいとこのお嬢さんって感じ」
不機嫌そうな香世。どうしてそんな顔なのか。それに気がついてしまったので、英児は容易く返答ができなかった。かける言葉がみつからない。
「おめでとう。お幸せに」
「ありがとな。気をつけて、帰れよ」
運転席のドアを開けた香世がこっくりと頷く。だけれど……。暫くそのままで乗り込もうとしない。
冬の青空、龍星轟の真上に東京行きの旅客機が近づいてきた。響く轟音の中、香世が言った。
「なんで、私じゃないのかな。彼女は私だったかもしれないのに。どうして」
英児が知ったことは確信へと変わってしまう。若い男二人は気がついていなかったが、流石の親父はもうずっと前から気がついていたようだった。
だが。やはりそれは『今更』だ。それをいま言ってくれるなら、英児だって言い返したいことがある。
「なんだよ。だって、お前。俺のことなんか」
すべてが言えない。それは英児の傷でもあるのだから。
それでも香世が空を見て言う。あろうことか、彼女の目尻に涙が浮かんでいて、英児はさらに吃驚。
「ずるいよね、私。英児君をふったのを若さのせいにして、大人のイイオトコになってからこんなこと言うなんて」
いつからだよ。お前、いつから、俺のこと――。そう言いたいけどやっぱり言えずにいると。
「結婚したくせになんで。と、思うかもしれないけど。結婚してなにもないからこそ……楽しみだったのよ。私にとって、英児君は自慢の同級生なんだよね。一生懸命働いてお店を持って人気店にしちゃって。ずっと車が好きでその信念を曲げないで、仲間もいっぱいいて。茶髪もやめて黒髪にしてどんどんイイオトコになっちゃって。英児君がずっと前から持っていたもの、私が若さだけで拒否したこと、今なら英児君のあの情熱的な勢いも、全部がすごく素敵なことだったって良くわかる。旦那はなにも知らないけど、同級生はみんな英児君が私のことを好きでいてくれたこと知っているから『もったいないことしたね』ってよく言われるよ。それでも一時でもそんな英児君に愛してもらえたことが、今は私の……」
ついに香世の頬に涙が落ちていくのを英児は見てしまう。
「英児君が結婚しちゃうなんて、やっぱり寂しい。これで完全にあの彼女だけの男だもんね」
それだけ言うと、香世はさっと運転席に乗ってしまう。
英児も何も言えず、ただ見送ることしかできなかった。
なんでだよ。今更。それになんでだよ。
俺を二度もふったくせに。
冬の潮風が吹き込む龍星轟。急にずっと前の苦い思いがこみ上げてきた。