ワイルドで行こう

「なんだよ。言いたいことあるなら、言っておけよ。……この前みたいに」
 整備の手を止め、英児は持っていたスパナを道具箱に置いた。
 香世も英児の目の前で、俯いている。眼鏡の奥の目が見えないほどに。
「……この前。勝手なことばっかり口走っちゃって、ごめんね。あの後、すごく後悔した」
 それだけ言うと、香世が黙り込む。まだなにか言いたいことはないのか、英児もじっと待ってみるのだが。もうないようだった。
 どうやら、『案外、笑い飛ばすだろ』という武智と英児の期待も見事に砕け散ったようだった。もう香世の中から溢れ出た女の気持ちは『無かったことに』とは出来ないようで……。それなら英児も受け止めねばならぬだろう。
 英児は、香世に向けあからさまに溜息をついてから、彼女の正面に向かう。
「あのな。お前も子育てをしている母ちゃんでカミさんで、だからこその『大変さ』があると思うけどよ。俺のことをいい逃げ道にするのは、これっきりにしておけよ」
「うん。逃げ道……だったね。でも、だからこそ逃げ場所があったから我慢できていたこともいっぱいあるんだよ」
「それなら。俺じゃなくてもいいだろ、もう……。言っておくけどよ。お前、やっぱり俺のことなーんにもわかってないわ」
 香世は黙っていたが、暫くして。
「……だよね。一年に一度会えるか会えないか。ただの同級生だというだけで、毎日の英児君を知っている訳じゃないしね」
「つーかよ。お前、俺のこと、これっぽっちも見ようとしなかったじゃねえかよ。なのに後になって、てめえの都合のいいように『英児君』を書き換えて、勝手に文句を言って本人の前で泣くってなんだよ。はあ? 俺はお前に二度も拒否られたんだぜ。その後の俺の気持ち、どれだけ長く引きずったか知らねえだろ。だよな。とっとと黒髪の真面目なリーマンと結婚したんだからよ」
 英児の口も止まらなかった。いや、英児も今日は覚悟していた。香世が本心でぶつかってきたなら、俺も酷い男と言われても嫌われても、こっちも本心でぶつかってやろうと。
 そこにはある種の『賭け』もある。男と女でこれっきりで終わるのか。それとも……。英児がそう信じていた『終わったから、同級生として友人でいられる』のか。
 しかし。だめなのか。目の前で眼鏡の女性がフレームの下から涙をぽろぽろこぼしている。

< 356 / 698 >

この作品をシェア

pagetop