ワイルドで行こう

「わ、わかってる、よ……。ただ、それに、気付きながらも気付かないふりの、そういうの……。たった一人だけの秘密の楽しみぐらい……」
 ぐずぐず泣き出した女には弱い、困り果てる。だが英児もここは『けじめ』だ。自分にとっても『けじめ』。心を鬼にして言い返す。
「だったら、口に出すな。永遠にてめえの中に閉じこめておけば良かっただろ。俺が知らないとこで、俺にも俺の彼女にも旦那にも知られずにずっと……! 勝手な夢を作っちまったなら、墓まで持っていくぐらいの想いにしておけ。二度も俺を拒否しておいて、今更、『どうして私じゃないの』なんて気分悪いだろ」
 言いたいだけ言ってしまった。やっぱり彼女がわっと泣き出してしまう。
「なにも知らないくせに。結婚して、旦那が好きでも家族が一番でも、女の気持ちがどうなるか何も知らないくせに。英児君の彼女だって、きっとなるんだから」
 いや。英児は眼力を込め、そこは立ち向かう。
「ならねえよ。琴子はならねえ」
 香世の前で、はっきり嫁になる女の名前を口にしたので、涙の顔がさらに歪んだ。
「新婚でなにもかもが素敵に見えるから、そう言えるのよ」
 結婚の現実も知らないくせに――。と、言いたいらしい。それは英児も経験者に言われると何も言い返せない。だけれど、言い切るには信じているのには揺るがない訳がある。
「お前は俺とつきあっても拒否したけどよ。カミさんになる琴子は、最初は元ヤンの俺にビビっていたけど、すぐに真っ直ぐに俺のことを受け入れてくれたよ」
「だって、もう大人じゃない。金髪じゃないし、茶髪じゃないし。社長で経済力も人脈もあって」
「――バレるまで、隠していたんだよ。それ。社長たって小さな事業所、それをとっちまった本当の俺は、ただの整備士で元ヤンキーで走り屋。それで付き合ってくれるかどうか、というのが俺にとっては重要だったからよ。でも彼女は、それだけの男だとしか知らなくても充分に俺を受け入れてくれたよ」
 やっと、香世が黙った。涙も止まったようだ。
「俺が持っている寂しさがどんなものなのか、お前は知らなかっただろ。俺がそんな寂しがり屋で、家族に飢えているだなんて。そんな惨めな男だなんて思っていなかっただろ。それを知らずに、俺と別れて、旦那と子供と笑って暮らして、それでも小さな隙間に勝手に書き換えた俺をはめ込んで不満を凌いでいたんだろ。俺のことなんて、どこにもないじゃねえか。最初から」
 涙も止まった濡れた目が、黙って英児を見つめている。茫然とした香世の顔には、もう、香世なりの答が出ているように英児には見えた。

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