ワイルドで行こう
しかし、琴子がじっと。微笑まずにじっと英児を見ている。そして。
「うん。わかりました」
午後の日も傾いてきた海の窓辺。やんわりとした冬の日が射しこむテーブルの上、琴子はバッグからペンを取り出すと、その用紙の上にすらすらと名前を書き始めた。
今度は英児が唖然としている。唐突な申し込み、彼女の気持ちも聞かず、自分の感覚だけで説明も上手く言えなかったのに。琴子のほうが決断早くすらすらと……。
英児が愛している優しい眼差しと柔らかい微笑みで、しとやかな指先で、遠いさざ波の中、彼女が妻になる誓いを綴っている。
「はい」
彼女らしく丁寧に、英児が書ける向きに用紙を反転してペンも差し出してくれている。英児もそれを受け取る。
でも茫然としていた。
「あのさ。『どうしていきなり』とかさ。『どうして今なんだ』とかさ。『なんでそっちの勝手で』とかさ。反論はないのかよ」
慎重な性格の彼女だから『まだ早い』と戸惑うのではないかと構えていたのに。こんなあっさり……?
でも琴子は目の前で、おかしそうに笑い出す。
「だって。英児さんは理屈もなにも関係なくて『感覚』が多いんだもの。本当に動物みたい。その時に『キラ』とか『ピカ』とか『ビリ』と感じたら、それが英児さんを迷わず動かして、そしてそれが貴方にとっては『大事な今』。そしてその時の英児さんは、いつも誠実で間違っていない。これも、そんな感覚なのでしょう」
今度は英児が絶句する。説明なんていらなかった。……言えば、この嫁さんになる彼女は、直ぐに通じてくれるのだと。……忘れていたのは英児の方。
「私、英児さんのそんな動物的なところが大好き。だから。今日がその『グッと来た時』なら、私も一緒に連れていって」
だって。妻になるのだから。
瀬戸内の青い海の側で、彼女が笑っている。
たったいま、この瞬間。本当に彼女と通じて結ばれた気になる。
「よし。俺も書くぞ」
彼女の花柄のペンを手に取り、『滝田英児』と力強く記す。書きながら英児は言う。
「明日、市役所に持っていくぞ」
大晦日なのに。
「はい。英児さん」
俺達には関係ない。グッと来た時、ビリッとした時、彼女とピタッとした時。その瞬間を逃がさず、一緒に行こう。
明日、俺達は『夫と妻』になる――。