ワイルドで行こう

10.奥さんは、どんな花?


「母親をね、どうしても面倒を見なくちゃいけなくなって。でもね、だからって夜の世界を泣く泣く諦めた訳じゃないんだよ。今度は海の太陽を浴びて、お客さんを待つ仕事もいいなあと思ってね」
 それでも。道具も材料も肝心の酒も。なにもかもを手元に揃えて『いつでも作れる』体制にしていることを窺わせる手際よい準備。絶対に捨てていないと英児には感じられた。男が『これ』と思った仕事を捨てる。サバサバと未練はないというが、割り切るまでのマスターの苦悩が、それだけで英児には痛いほど伝わってくる。
「でもね。そんな僕の第二の人生を歩んできた店から、こうして夫妻が誕生してくれるなんて……。夜の仕事にも未練があったのも確かだけど、こんなことがあるなんて……。やってきて良かったと今日、嬉しくなっちゃったよ」
 だから。僕にお祝いの一杯を是非つくらせて。そんなマスターの気持ち。
 グラスも綺麗に磨かれている。カクテルグラスにひとまず、月色のカクテルができあがる。
 マスターがそれを琴子の前に差し出した。
「真っ白な花嫁さんへ。ホワイトレディです。おめでとうございます」
 琴子の感激の眼差し。
「ありがとうございます」
 そして間をおかず、英児にも。同じくレモン、そしてオレンジ。一滴二滴の香りづけのリキュールのみで、アルコールはなし。それをシェイクしてくれる。
「ビター・カクテル。ノンアルコールです」
「ありがとう。マスター」
「おめでとう。滝田君。良かったね、一緒に生きていける人とやっと巡り会えたね」
 長年の馴染みだけに。英児も涙ぐんでしまいそうだった。
「どうぞ。お幸せに。僕のお店で夫妻になったんだからずっと仲良くしてよ」
 それだけいうと、マスターもなにか気持ちが高ぶっているのかそのまますっとカウンターに消えてしまった。
「ここにくると。ううん、英児さんと出会ってから思いがけない嬉しいことがいっぱい。全部、英児さん繋がりなんだもの」
「いや。ここは矢野じいが……」
 そうして繋がっていくんだな。だから今日があるんだな。そう思えた。
「白い花嫁さんと言ってくれたけど、このレモンのカクテル。あの夜の月の光みたい」
「本当だな」
 また琴子にとって、この店は思い出深いものになっていくのだろう。そして、それは英児も。

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