ワイルドで行こう

 そしてついに。矢野じいの手が琴子の白い手袋の手を、新郎の英児へと差し出す。
「この日を、二人とも忘れんなよ。いいな」
 娘をお願いします――は、この日はない。それはいつまで経っても、琴子の父親のもの。そこまで父親気取りをしない矢野じいからの言葉に、二人は揃って頷いた。
 矢野じいの手から、英児の手に。その小さな白い手がふわりと乗った。
「英児さん」
 潮風にベールが舞う中、琴子がきらりとした眼差しで英児を見上げた。白無垢では楚々と隠された顔に色気を感じたが、今度は英児がいつだって見てきた愛らしい笑顔がそこにある。
 その手を、英児は迷わずに自分へと引き寄せる。
 しかも、そこにテーブルがあって。マスターがなにか飲み物の準備をしていることを解っていても。英児はそんな琴子を、いつもそうであるように、もう……胸の中に抱きしめてしまっていた。
 黒いモーニングの男が、後先考えずに、花嫁に触れるなりぎゅっと抱きしめる姿。参列している皆が『わあ』と笑い声で湧いた。
「こらー、滝田社長。順番が違うぞ!」
「なにやってんだよ。それじゃあ、いつも通りじゃないか!」
 堪えしょうがなく、溺愛している琴子に触れずにいられない性分をよく知っている龍星轟の兄貴達の野次に、また参列者達が笑い出す。
「流石、速攻の滝田君。そのまま、誓いのキスいっちゃえ」
 三好ジュニアからもそんな野次が飛んでくる。
「そうだそうだ。もういっちゃえ、誓いのキッス、誓いのキッス!」
 ついに武智まで、進行を投げてしまう始末。
 武智とジュニア社長の調子の良い音頭に、参列者にマスターまでもが催促の拍手を揃えてくる。
「英児、いけ!」
 側にいる矢野じいも大きく手を叩いて煽ってくる。
 しかも英児の父親まで。
「まったく。それほど琴子さんが好きなら、お前、絶対に彼女を困らせたりするんじゃないぞ」
 といって、やっぱり矢野じいと一緒になって手を叩いている。
 皆に煽られ、英児はやっと胸元から琴子を離す。ベールをまとう琴子の顔を見下ろした。今日も彼女の口紅は淡い色。いつもと変わらない。
 キスをする前に、英児は琴子の瞳をみつめる。この日に言おうと決めていた言葉がある。
「琴子、俺、すげえ、お前のこと――」
 あい、愛、愛し……。
 言ったことがない言葉だった。言ったことがあると思っていたのに、言っていなかったことに婚約してから気がついた。
 言いそびれると、いつ言えばいいか判らなくなり。それなら、結婚式で言ってやろうと思っていた。それが今。
「これからもずっと、お前を、愛し、愛」
 どうした。言えるはずなのに言えない?

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