ワイルドで行こう
「約束をしても、いつも時間を守ってもらえないので。今日はこちらから伺ってしまいました。業務中にお訪ねしてしまい、本当に本当に申し訳ないと思っております」
「いいえ。いつもこちらばかりに時間を割かせてしまって、ごめんなさいね」
どうやら母と彼女は顔見知りのよう……。
ということは、翔兄は、上司である親父さんとオカミさんである母には『彼女』を紹介していたことになる。
「大丈夫です。いま、滝田社長が彼を今日はあがらせてくれると仰ってくださって。本当、そんなつもりはなかったのですけど……。いえ、その、ここに来てしまったら、社長さんがそこまで気遣ってくださると判っていたので今までも遠慮させて頂いていたのに……」
きちんとした佇まいからは、凛とした風をかんじたほど。とてもしっかりした女性だと一目で思ったのに。その彼女が急に取り乱したように、狼狽える姿。
「気にしないで。瞳子さん」
トウコさん。
初めて聞いた名前に、小鳥の心臓が締め上げられるようにぎゅっと固まり、息苦しくなってきた。
「桧垣君は? まだあがらないの?」
「彼、営業時間が終わるまであがらないと言い張っていて――。ですけど、私はそれで構いません。ただどうしても今日は彼に時間を作ってほしくて」
「わかりました。私からも桧垣君に言ってみるから」
「いえ。この近くで待っていますから。彼にそう伝えてください」
なにか切羽詰まった様子が窺えた。そうでなければ、恋人の職場に顔を出すことは禁じていたのに来てしまうことなどなかったのだろう。
そんな瞳子さんと目が合う。
「あの、そちらが小鳥さん……ですか」
「ええ。いちばん上の娘です」
そこで彼女が先ほど見せていたしっとりした艶やかな笑みを見せた。
「初めまして、小鳥さん。いつも社長さんや、こちらの皆様、そして桧垣君から聞いています」
「は、初めまして。娘の小鳥です」
小鳥も頭を下げた。でももう……頭が真っ白。
なに? 今までここに現れたこともなかった翔兄の恋人が今日ここにいきなり現れて。
しかも。『社長やここのみんなから聞いてる』と……、小鳥は初めて会ったのに、親父さんも琴子母も、従業員のみんなも、彼女と何度も会っているかのような口ぶり。
そして小鳥はしみじみと感じた。
『やっぱり私は子供なんだ。大人の世界と大人の関係、大人の事情は見せてももらえない。ただの職場の上司の子供に過ぎない』
いままでずっと、その囲いには存在していなかった。蚊帳の外、子供の枠。
翔兄と同じ世界にいなかった。だけど、このおしとやかなお姉さんは今も翔兄の傍にいる、ずっとずっと前から。