ワイルドで行こう



 翔兄ちゃん。嘘。長く好きだった人を失っちゃったの?
 あんな怖いお兄ちゃんの顔、初めて見たよ。
 あんなに狼狽えているお兄ちゃんを初めて見たよ。
 そんな不安定なお兄ちゃんなんて信じられない。
 そのまま行かないで。そのまま走りに行かないで――!

 その不安が小鳥を駆り立てるように走らせる。小鳥は階段を駆け下り、事務所に飛び込んでいた。外に出てピットへ。それしか見えていない。

「待てや」

 気がつくと、事務所を出るところで英児父に腕をひっつかまえられ、ぎゅっと力いっぱい止められていた。

 振り向くと、煙草をくわえて眉間にしわを寄せた怖い顔で小鳥を見下ろしている。

「そっとしておけ。お前だってそうだろ。そっとしておいて欲しかっただろ」

 ……親父さんも、……判っていた。小鳥の気持ち。恋する気持ち。

 もうぐちゃぐちゃだった。この恋とあの恋とか誰かの恋とか、いくつもの『恋』がぐるぐる回って、今まで変わらないと思っていた皆の姿が急激に変えられていくよう。

「父ちゃんっ」

 その胸にドンと小鳥は抱きついてしまっていた。そこで涙を一杯流して、今度は声を出して泣いた。

 父の大きな手が小鳥の黒髪を撫でた。煙草の匂いが降りてくる父の胸の中、いつも頼ってきた腕が小鳥を大きく抱いてくれていた。




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