ワイルドで行こう



「おかえり、琴子。おかえり」

 自宅が職場である彼、私の夫。そして彼の会社があるここが、私たち夫妻が暮らす家。

 毎朝、彼が『おう、気をつけて行ってこいや』と見送ってくれ、そして毎日、彼が『おかえり』と迎えてくれる。

 夫が送り出してくれて、夫が待っていてくれる。いま琴子が帰る場所。


「お、太刀魚を買ってきたな。絶対に、あの天ぷらな!」

 買い物袋の中身を知った彼がそういいながらも、琴子の手から、その買い物袋を取り去って、代わりに持ってくれる。そういうさり気ない気遣いも相変わらず。

 しかもガレージを出ると、荷物片手の英児が傘をさして、それを琴子の上にかざしてくれる。

「ありがとう、英児さん」

 こんな時、普段は元ヤンの名残を感じさせる怖い目つきばかりする彼が、本当に穏やかに優しく微笑んでくれるので、今度は琴子が思いっきり彼に抱きついてしまいたくなる。待っていてくれた彼に、琴子を大事にしてくれるお返しに抱きしめてあげたくなる。

『おう、お疲れぃ。琴子』
『おかえり、琴子ちゃん』

 だけどそこで、ピットで仕事をしている矢野さんと、整備士コンビの兄貴ふたり清家さんと兵藤さんの声も届くのも毎日のことで、英児に抱きつきたくなった琴子はグッと堪える。

 ピット内でワックスがけを仕上げていた矢野さんが、この時間になると見られる夫妻の姿を見て、これまたお馴染みの呆れた溜め息をこぼしている。しかも今日は夫が妻に傘をかざしてという……。

「おい、クソ旦那。毎日毎日、待ちくたびれたワンコみたいに迎えに行くと、嫁さんにウザイって嫌われるぞー」
「うっせーな。嫁の帰りを待っていて、どこが悪いんだ。このクソジジイ!」

 いつもの師弟のどつきあいも相変わらずで、琴子も整備士兄貴達と一緒に笑ってしまう。

 いつの間にか雨上がり。初夏の夕。すこしだけ茜色に染まっている雲が海から近づいてきている。今年も龍星轟の夕空には、小さなコウモリがぱたくた。二人の頭上を飛んでいる。
 

 良いことも悪いことも、たくさんのことが降ってきても、ちいさな傘の中、肩を寄せ合って一生懸命歩いていく。いま、そんな気分。










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