ワイルドで行こう



「違う、やっぱりゼットとは違う」

 ゼットも視線が低くスピードを出すほど地面を這っているような感覚になり、それを感じる時は重力がかかっているのか運転してる自分の身体も重く感じたりする。

 それがこのフェラーリでも同じ感覚におちいったが、これはこれでまた違う感触。エンジンの音も全然違う。

 こんな滅多に乗れないはずのイタリア車でも軽快に左シートで運転をする英児を見て、琴子はやっと気がついた。

「え、それなに?」

 そこで英児がニコリと笑った。丁度、信号が赤になり白いフェラーリが停車する。

「気がついたか」

 握っているハンドルのすぐ裏。そこを英児はハンドルと一緒に握って、カチカチと軽く鳴らした。

 ハンドルと二重になっているレバーが左右にひとつずつ。

「F1マチックっていうんだ。この手元のパドル操作でクラッチの操縦をマシンが自動でしてくれるんだよ」

 まだ車のことがわからない琴子は目を見張った。

「え、手で出来るの? それってオートマチックなの?」
「んー、厳密にはMTにはいるけど、セミオートマかな」

 それで琴子もやっと理解する。だから、『嫁さんも運転できる』とこれを借りてきてくれたのか、と

 その前に信号が青に変わる。その途端、また英児の目線がフロントへ、あのキッとした怖い眼に変わる。

「見てろ。そうしたら、琴子もこれを運転できるからよ」

 俺が今から見本を見せる。だからよく見ておけ。そんな彼の怖い眼、でも琴子も神妙にこっくり頷く。

「右がシフトアップ、左がシフトダウン。ニュートラルは両方共に握る。ただしブレーキを踏んでいないとギアがはいらない」

 彼の説明に、琴子も英児のハンドルを握る手を見て頷く。

 彼がアクセルを踏んで発進。夜空に沈んでいくバイパスが、オレンジ色の街灯に淡く浮かび上がっていく中、白いフェラーリが軽やかにまっすぐ走り出す。

「1速、」

 英児がハンドルを握ったまま、その下にある右のパドルをカチッと操作していく。
 本当に握るだけ――。琴子はまたドキドキしてくる。

「2速、3速……」

 ハンドルの下、指先だけで軽く切り替えられていく。
 微かにピリピリとした振動が伝わってくる。それは走行からくる振動ではない。まさに高らかに響くエンジン音からの振動。まるでサーキットでレースに参戦しているかのような錯覚に、初めてゾクッとした興奮を覚える。ぐんぐんエンジン音が軽く伸びていく感覚を琴子もしっかり体感する。だけれどそれはまた『初めての体験』。

「切り替えている繋ぎ目で振動とかショックがない。でも走りはすっごく軽やかに伸びて、エンジンの回転数の音で切り替わっているのがわかる……すごい」
「だろ。これなら左ハンドルでも運転できそうだろ。南雲君、今持っているフェラーリはこのF430と80年代のテスタロッサと二台なんだけど、テスタロッサはまだF1マチックは導入していなかったし、一年前に手放したF360モデナの時は完全ミッションだったし、このF430に買い換える時、今度はF1マチックにしたんだよ。彼も女性も運転できるフェラーリだからって、これを貸してくれたんだ」

 でも、それでもこんな大きな車体の高級車。本当に運転できるのだろうかとまだそんな気になれない。

「まあ、暫くは身体で感じてな。俺がいじりまわした『じゃじゃ馬ゼット』を乗りこなしているんだからよ。絶対に出来るって」

 それまで体感して、旦那の運転を見て目で覚えて、心の準備でもしておきな。そんな夫の言葉。ひとまず琴子もせっかくのフェラーリだからと言われたとおりにしてみた。






< 634 / 698 >

この作品をシェア

pagetop