ワイルドで行こう
3.ワイルドで行こう《Born to Be Wild》 (2)
そんな時。そっと隣に英児が寄り添ってくれた。
「怖いのか。琴子らしいな」
そして夜空の下、煙草の匂いが染みついている龍星轟ジャケットの胸にそっと抱き寄せてくれた。
「車を運転するのだって……。いままでの私にはあり得ないって思っていた。ただ必要に迫られて免許を取っただけならば、フェアレディZのようなスポーツカーなんか乗りこなせないと、以前の私なら、きっとそう思っていた。でも……」
そして琴子は優しく抱いてくれている夫の腕から、夜海に煌めく瀬戸内の海を見つめる。
「なのに。貴方と出会ったら、信じられないことがいっぱい起きている。そして私、それが出来るようになっている」
まるで自分に言い聞かせているよう。そして英児は黙って、琴子の頭の傍で静かに頷き、そして黒髪を柔らかに撫でてくれている。
「出来るさ。俺が知らないうちに免許を取って、俺が知らないうちにフェアレディZを運転したいと公道に飛び出していったのは琴子自身だぞ」
そうだった。あの時、夢中だった。車が好きでその車でどこまでも駆けていく彼のようになりたくて、すっかり車に魅せられて。それまでまったく見向きもしなかった車に、スポーツカーに、しかも車屋の彼がチューニングした走り屋仕様の車をいまは当たり前のように乗り回している。
そして、この温かみ。心強さ。大きな胸にいつだって優しく抱きしめてくれて、そして大事に包んでくれる旦那さんがいる。
一年前の雨模様の日々。ただ打ちひしがれていただけの自分は、一年経った今日、こんなに変わっている。
「私、行く」
真上から見下ろしてくれている夫の眼を見て、琴子は決断する。
「よっしゃ。行こうぜ」
琴子自ら左側の運転席に乗り込む。そして隣には夫の英児が乗る。
共にシートベルトを締め、ドアを閉め、琴子はハンドルを握る。
ヒールがあるミュールのままアクセルペダルを踏んだ。
馬のエンブレムが埋め込まれているハンドルを握りしめ、琴子はついにエンジンをかける。
アクセルをひと踏みすると、ブオンと夫がしたようにこの車が大きく吠えた。
「す、すごいっ」
どの車からも感じたことがないエンジン音と振動。それを自分が吠えさせたのだと思うと、あれほど怖じ気づいていたのに瞬時に身体中の血が滾ったのがわかった。
そうなるともう、嘘のように『いつも通り』の気持ちでアクセルを踏み、ハンドルを回していた。