ワイルドで行こう
 だけれど。彼は潰れた青いピースの箱を手にすると、席を立ち上がり行ってしまう。
 なに。なに怒り出したの? 呆然とすることしかできない琴子はただカウンターへと行ってしまった彼を目で追うだけ。
「おっさん。ショッポある?」
「ホープだね。あるよ」
「わるい。これ、捨てておいて」
 レジで小銭を出し、煙草を買っている。そして潰れた箱をマスターに渡している。新しい煙草を片手にぶすっとした顔の彼が琴子の向かいに戻ってきた。どっかりと椅子に座り、小さな箱の煙草を改めて口にくわえた。
「あの、それに変えてしまっていいの?」
 もう、彼が煙草の箱を潰して新しい煙草に買い換えた意味を琴子は気がついてしまっていた。
 新しい煙草の煙の匂いは、もう甘くない。
「思い出にまでなっている煙の匂いをいつまでも目の前でちらつかせているわけにいかないだろ」
 やっぱり。琴子が元カレとの辛い別れを思い出さないようにしてくれたよう……。
「それにさ。いちいちあの煙の匂い嗅いで、元カレと一緒ーとか、あのとき辛かったーとか。そんなのちょっとでも思って欲しくないからなっ。しかも琴子さんを自販機に立たせた奴が吸っていたかと思うと腹立つわ」
 ぶっきらぼうに言い放った彼の、眉間にしわを寄せる怒った顔。見慣れてきたその『本当は優しい怒り顔』。また琴子の胸が熱くなる。
「いいのに……。ピースを吸っている男の人なんて幾らでもいるのに」
「俺が嫌だって言ってんのっ。いいんだよ。昔、暫く吸っていた奴だし、ちょうどピースにも飽きてきていたんだ」
 嘘つき。また嘘。
 でも嬉しい……。
「はやく食えよ」
 いつまでも彼を見つめているから。またそんな怒った言い方。照れ隠し。
 でも月明かりはそんな彼もくっきり琴子に映し出してくれる。
< 73 / 698 >

この作品をシェア

pagetop