ワイルドで行こう
 食事を終え、彼がカウンターのレジで精算をしてくれる。
 白髪の静かなマスターが、黙ってレジを打っていたのに急にクスリと笑い出す。
「相変わらず、熱いね。全然、衰えていないじゃないか。安心した」
 そんなマスターが、彼の背にいる琴子をちらりと見る。優しい眼差しで微笑むマスター。
「やんちゃだけど。大目に見てあげて」
 やんちゃ……って。琴子から見たら、ちゃんとしたお兄さんなんだけれど。でもなんとなく解る? 若い時はそうだったのだろうなと。
「うっさいな。余計なこと言うなよ、おっさん」
 静かだったのに、マスターが笑い出す。
 また車、持っていくから。いいよ、店があるだろ、俺がここまで来るから。『連絡して』。整備の約束をしてマスターと彼が手を振り合う。
 店の外に出た途端、マスターが看板や店内の灯りを落とした。閉店。彼と琴子が最後の客。
 暗くなってしまった店先。すっかり高く昇った月が照らしてくれる。優しい潮騒と涼しい夜風。
 銀色のフェアレディゼットへと向かうのかと思ったけれど、彼に急に肩を抱き寄せられる。
 暗くなった海辺。どきりと琴子は彼を見上げた。
「そこまで、散歩しないか」
 胸騒ぎが止まらない。でも琴子は迷わずに頷いていた。
 小さな喫茶店の裏はテトラポットの波打ち際。古い堤防沿い、地元の小さな漁船がつながれて揺れている海辺の小道。そこを月明かりだけで歩いている。
 でも気持ちよい風。やがて空高く昇った月と入り江からぱあっと海が一望できる階段に出た。大きな階段だけれど、満ち潮でもうすぐそこまで小波が打ち付けられている。
 だけれど、彼がそこに平気で座ってしまう。そして優しく琴子の手を引いてくれた。そのままに、琴子もすぐ足下に波が寄せる階段へ彼の隣へと座った。
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