愛を餌に罪は育つ
リビングのソファーに腰を下ろすと、朝陽は私の直ぐ隣に腰を下ろした。


手を握ったまま。



『何があったの?携帯も見られないほどの事だったんでしょ?』

「会社で火災報知機の誤作動が起こって、突然凄い音のサイレンが鳴ったの。私、本当に火事だと思って逃げようとして――だけど、怖くて足が震えて動けなくなった」

『怖くて――もしかして事件の事を思い出したの?』

「――分からない。体が勝手に反応したの――それでそのまま気を失っちゃって、秘書室で倒れてるところを副社長が発見してくれたの」



ほんの一部分ではあるけど、記憶はちゃんと取り戻していた。


だけどまだ口にはしたくなくてその事は伏せておくことにした。


もっと酷い何かを思い出すにはまだ心の準備が出来ていない。


実際にはそんな事があったのかも分からないけど、もしそうならもう少し思い出さないままでいたい。



『さっきの人は副社長?』

「そうだよ。一人で帰りますって言ったんだけど、またいつ倒れるかも分からないのにそんな薄情な事はできないって言って送ってくれたの」

『そう――いい人だね』



口ではそう言っているくせに、顔はそうは言っていない。


こういうのを嫉妬――というんだろうか。


朝陽の事を恋人として好きなら、今のこの状況は嬉しいんじゃないだろうか。


そう思えないという事は違うのか、それともまだ私の気持ちの整理がついていないだけなのか――自分の記憶も心もはっきりしない。





< 80 / 390 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop