10年越しの恋
8月9日 空は分厚い雲に覆われている。

小さなカバンに必要なものを詰めて部屋を出た。


「じゃあ行ってくるね」


玄関でサンダルのストラップを足首に巻きつけていると母親が2階から駆け降りてきた。


「まさよの実家に2泊での旅行だから」


鞄を取ろうと振り返ると悲しそうな母親の顔が目に入る。


「瀬名、あなた…」

そういった表情はすべてを悟っていることを物語っていた。


だからこそ、


「何? 明後日には帰るからね」


振り切るように家を後にした。


病院到着後すぐに最後の診察を受ける。


「岩堀さん、本当にいいんですね」


優しく問いかける先生に無言でうなずいた。


「うちの病院では前の日に入院してもらうのは前処置があるのもそうですが、最後にお父さんとお母さんと赤ちゃんできちんと向き合って欲しいからなんです」


「はい」


「今日はお父さんも一緒に泊まることできますか?」


「はい、一緒に来てくれています」


「そうですか、どんな事情があるのかは聞きませんが最後の夜を大切に過ごしてください」


先生の言葉が重く心に響く。重い足取りのまま病室へと向かった。

シンプルな内装の部屋にはTVすらない。

患者用のベットの下にはお父さん用の簡易ベットが用意されていた。

その日の夜は眠れるはずもなく、とめどなく浮かんでくる気持ちを言葉少なに話した。

「華ちゃんってもしかして沖縄で授かった子?」


「たぶんそうかな…、でもどうして?」


「俺、瀬名と4年付き合ってきてあの時に妙に気持が高まったっていうか。今までで一番好きだなって感じたんだ」


「私もそうかも…。上手くは言えないけど、やっと強く繋がった気がした」


「だから華ちゃんが二人の間に出来た」


「うん」


きっとその瞬間同じ思いが心によぎったと思う。

怖くてどちらも言葉にはできなかった。


夜遅くに行われた前処置によって大切に華ちゃんを守るために固く閉ざされていた部屋の入り口が開かれる。

あまりの恐怖に足の震えが止まらずにベテランの先生ですら手こずった。



そして夜が明ける。
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