10年越しの恋
足を一歩踏み出すとカツンっとヒールが小気味いい音を立てる。

今日も全面ガラス張りのエレベーターホールからは見慣れた港とそこを行きかう大型船が見えて、相変わらず下手な展望台からの景色よりも綺麗だと思った。

卒業式の今日はさすがに公舎内の人影はまばらだ。

誰もいない廊下を進むと一番奥に先生の部屋が見えて、ドアには在室を示す札が掛けられている。

せっかくの推薦を辞退した気まずさから尋ねるのをためらう気持ちもあったけど、頭で考えるよりも先に体が動いていた。


「はい、どうぞ」


「ご無沙汰しています、岩堀ですが」


そう言ったきりどう続ければいいのか、どうして自分がここにいるのかが分からなくなってしまった。


「そんな所に突っ立ってないで中に入ってください。そろそろあなたが訪ねて来るような気がしてたんですよ」


なぜか私の訪問を予想していた先生は変わらない優しい佇まいで迎え入れてくれた。

資料が山積みにされたデスク、描画療法に使われるクライアントの絵がいたるところに広げてあって何も変わっていなかった。


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