ブラッディマリー
「和、少し下がってな」
耳に馴染んだ軽いテノールが、ゆったり空気の流れの中で泳ぐように響いた。
あっ、と思う間に和の弱った身体はもうその人に抱きとられ、敬吾のベッドに押しやられる。
ふわりと漂う香りに、和は眩暈を覚えた。その香りは自分をひどく安心させて──瞼の裏が、ふいに熱くなる。
どこから来たのだろうと視線を彷徨わせると、部屋の奥の窓が全て開いて、外から雨風が吹き込んでいるのが見えた。
「……まさか、黒澤湊……!?」
狼狽した澄人の声に、和は眉根を寄せた。
今まで聞いたその人のどの名前とも、違っていたからだ。
クスリと笑うと、その人は深く息をついた。
「その名前は、ずいぶん昔に捨てた筈なんだけどな……」
あくまで軽い調子の、その声。
けれど、部屋の中の空気を支配するには充分な程の威圧感がそこにあった。
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