戸惑いの姫君と貴公子は、オフィスがお好き?【改訂版】
ふと懐古しながら温かさに触れれば、思わず泣き出したいけども絶対に泣けない立場だから。
ああ今も昔も変わらないな。すべて嘘で塗り固めた環境を作り出していたのは、自分だという事実に苛まれるだけ。
自嘲笑いを隠すようにすっかり温かさを失っていた湯呑を傾け、緑茶とともにその弱音すべてを胸へ押し流した。
「…あ、そうだ忘れてたわ。
ここへ来る前にソフィアおばさまに連絡したの。急いで挨拶に伺わなきゃ…」
目の前に出された物を残さず食べ終えたところで薄手のジャケットを羽織り、携帯電話とお土産を手にして立ち上がった。
「今からかい?」
「うーん…、おばさまが早く来てって言うから…。
ごめん、少しだけ行って来るね」
「それなら良いんだけどねぇ」
壁掛け時計に目をやれば、とうに21時を過ぎての訪問はご近所迷惑だわと言う、おばあちゃんに事訳を話して足早に家を出たものの。
ご近所さんではなく、正確にはもっと近い“お隣さん”なのだ。
我が家と同程度の大きさの邸宅に隣接する歯科医院こそが、おばさまことソフィアさんのお宅である。
所用時間わずか10秒で到着した私は、すぐさまお洒落な洋風建築のインターホンを鳴らす。
わくわくした高揚感が包むのも無理はない。おばあちゃんの家へ来れなかったことに比例し、ソフィアさんと会うのも久しぶりとなる。
すると、またしてもインターホンで答えるより早く、大きく真っ白なドアがガチャッと忙しく開かれた。
「トキちゃん、お帰りー!」
この呼び方をしてくれる人は数少なくて、ましてギュッと強くも優しいハグの心地も懐かしいもの。
昔から変わらないソフィアおばさんのフローラルの香りに包まれると、改めて名古屋に来たことを実感する。