戸惑いの姫君と貴公子は、オフィスがお好き?【改訂版】
それが東京へ戻って独り暮らしをする今では、自然な流れか和装で出掛ける機会がまったく無くなって。
せっかくの貴重で高価な品を持て余していたし、こうして着ると心が落ち着くのは好きなせいだろう。
「確かに貴方の言う通りに、その方が新鮮です」
「…ありがとうございます」
これで赴く先が違えば良いと思うけども。ひとりで着つけるのが当たり前の境遇が、皮肉にも専務との契約ごとに役立ってしまった。
もしも出来るならば、繋いだままの手をそっと離したかった。でも自分からは出来ずに、真っ黒な瞳から目を逸らした。
そう、分かっているのだ。この男から向けられる眼差しはすべて、“値踏み”の意であることを――
「乗って下さい」
「ご自分で、運転?」
結局その手を離して貰うことなく地下駐車場に到着すれば、ドイツの高級車メーカーのひとつ・アウディTTSへ乗るよう誘導された。
「…俺を何だと思っているんですか」
「高階専務です」
いささか呆れ気味の表情を向けて来たが、私が真顔のまま勘繰るのも無理はないだろう。
この生活が始まる以前よりオフィスで専務を見掛けても、運転する姿を見ていないのだから。
「そうですね――今は、彗星と呼んで下さい」
「ええ彗星さん、…では失礼します」
しかし鉄壁フェイスに戻った彼に敵わず、専務ご所望の呼称も受け入れたところで、ようやく助手席へと静かに乗り込むこととした。