触れることもできない君に、接吻を
俺は傍にあったベンチに体を預けた。
だが、なにもしていないと苛々が募ってきた。
さっきの出来事が、鮮明に蘇ってくる。

俺は思考を変えようと、前方で空を見上げる女に声をかけることにした。
さっきから女もこちらをちらちらと見てきている。
何か俺に伝えたいことがあるのかもしれない。まあ、そんなこと有り得ないと思うけど。

「お前、名前は?」

すると勢いよく女は俺の方を向き、大きな丸い目で俺を捉えた。
そして嬉しそうに自分の方を人差し指で指していた。
きっと「わたしに聞いているの?」と仕草で訴えているのであろう。
俺はこくりと頷いた。

「わたしね、わたしの名前は――」

花が咲いたような笑みを浮かべ、女は自分の名前を言おうとした。
だが、その言葉は途中で静止した。
言葉が途切れたことに驚いて、俺はちらりと上目遣いで女を見た。

「どうしたんだよ。他人に名前を教えるのは嫌ってか?」
「そういうわけじゃないんだけど……」

女が不安そうな顔で、こちらを向いてきた。
さっきの表情と一変して、苦痛に歪んでいる。
一体どうしたというものか。
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