美しいあの人
あたしはいささか緊張しながらも、
その名前を知ったことを嬉しく思っていた。
千鶴さんがビールを持ってきてくれる。
「おかわりは?」
「すみません、では八海山をロックでお願いします」
千鶴さんがお酒を用意するためにカウンターに戻るのを待ち構えていたように、あたしの口は無意識に開いていた。

「祐治さんって呼んでいいですか?」
「構いませんよ」
よかった。拒否されなかった。


なにか話さなくては思うけれど、
なにを話したらいいか分からず、
あたしはテーブルの上の祐治さんの持ち物を眺めていた。

文庫本に、セブンスターに使い捨てのライター。
千鶴さんが焼酎を運んでくる。
グラスに祐治さんの形の良い手が伸びたので、
そのままあたしは視線を彼の手元から祐治さん自身に移動させる。

長めの黒い髪に白すぎず黒すぎない肌。
肌荒れも見当たらない。
バランスの取れた眉。
その下の二重の目は大きすぎずしかしはっきりとしている。
すっと通った鼻筋に、形の良い唇。

黒いハイネックのカットソーの上にグレーのボタンダウンシャツを羽織り、
黒い細身のジーンズを履いている。
足下は黒いスポーツシューズ。
腕時計もアクセサリーもつけていない。

いつもの仕事の席なら、あたしはこの観察をしながらお客に話題を振っている。
なのに今は、会いたい、話をしてみたいと思っていた人が目の前に座っているというのに
何を話したらいいのかまるでわからなかった。

キャバクラ嬢失格だ。

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