美しいあの人
祐治が帰ってくる前に急いで顔を洗って着替える。
あとから出かけることになっても構わないように、
仕事に行くほどのおめかしではないけれど出かけられる格好にしておく。
化粧はまだしない。
祐治の顔を見たら泣いてしまいそうな気がしたから。
鍵を開ける音がする。
帰って来た!
嬉しくて玄関まで迎えに出る。
祐治がいつもの美しい笑顔で立っていた。
「おかえり」
泣きそうだったので、泣き顔を見られないように抱きついて下を向く。
祐治の両手がパソコンを入れたカバンと紙袋で塞がっているのが見えた。
お買い物してたのか。そっか。いなくなったんじゃなくてよかった。
「どうしたのエリ」
言ってもいいだろうか。少しだけ迷ったが思い切って言ってみた。
「いなくなっちゃったかと思って……」
紙袋が玄関にばさばさと落ちてカバンも床に置かれて、祐治があたしを抱きしめた。
「ちゃんと、戻ってきたでしょう。いなくなったりしませんよ」
抱きしめられていた手が離されて、肩をつかまれる。
正面から美しい顔に見据えられてつい顔を背ける。
それなのに、背けた顔は祐治の両手で正面を向かされた。
美しい顔が、真正面からあたしに美しいことを言う。
「エリがいるから、だから私は書けるのですよ」
こんなに幸せなことで、本当にいいのだろうか。
いつかなにかで罰が下るのではないだろうか。
そう思ったが、目の前にいる美しい人は確かにあたしの名前を呼んで、
あたしを必要としてくれるというので、それを信じることにした。
あたしの唇は、祐治の唇で塞がれた。
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