美しいあの人
第四章

転機

二週間ぶりくらいに松井さんが店へ遊びにきてくれた。
「最近どうして店に予約の電話を入れてくるの。直接連絡してくれたらいいのに」
松井さんはビールを飲みながら、ちょっとだけ困った顔をした。
「いや……悪いかなと思って」
「悪いってなにが」
わかってる。松井さんは、彼氏ができたあたしに気を使ってくれているのだ。
それをわかっているのにあたしは最近のイライラをちょっとだけ松井さんにぶつけている。
良くない。
「そりゃお前。俺だって気を使うんだよ」
「ごめん」
言って後悔して謝るくらいならあたしも言わなきゃいいのに。
「謝るなよ」
「ごめん」
「だからさあ」
ちょっとだけ空気が重くなる。
失敗した。
それにしても、松井さんもなんだか元気がないようだ。
「なんかあったの?」
ごまかすようにしてテーブルの上のおしぼりを畳み直す。
松井さんが小さくため息をついた。
「いやあ。たいしたことじゃない、ホントは俺が気にするようなことでもないんだ」
仕事のことだろうか。そういう愚痴を聞くのもあたしの仕事だ。
ビールを注ぎ足して話を促す。
「毎年この時期になると、気にかかる奴がいるんだよ」
あたしはカクテルグラスを手に取る。
春になったから季節物を、とお店で新しく出した桜色のカクテル。甘過ぎなくて好きな味だ。
「春先になると会うの?」
「会ったことはない。というか本人についてはなにも知らない」
「どういうこと?」
松井さんが、ビールを飲んでから話しだす。
「一応言っておくけど、愉快な話じゃないぞ」
「どうぞ」
あたしもカクテルを一口飲んで、話を聞く体勢を作った。
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