大海の一滴
「渡辺さん、話を最後まで聞いてからにして貰えませんか」
強い口調で、校長先生が制した。
「……分かりました。でもあなた、発言には注意なさってね」
獣のような鋭い視線に、吉川先生は目を泳がせ、それでもどもりながら、懸命に話を続けた。
「苛めると言っても、渡辺さんの場合、一人の子をずっと標的にするわけではありませんし、無視や嫌がらせも、一~二週間くらいの、ごく短期的なもので、私が気付いた頃には一端収まり、しばらくすると、また別の子に軽い嫌がらせをする、という、ものでした」
吉川先生は、俯いてしばらく黙り、また顔を上げる。
「私は、渡辺さんに注意することも、お母様に実状を伝えることもしませんでした。これは一時的なもので、そのうち収まるだろう。そう考えて、一年間やり過ごしたのです。保身のためです。本当に申し訳ありませんでした」
「何を言っているの? そんなでたらめ」
「三、四年生の二年間、僕も渡辺さんの苛めを黙認しました」
涙目で下を向く吉川先生に代わって、加賀先生が後を受け継ぐ。
彼は年中日に焼けていて若々しく、とても三十五歳には見えない風貌をしている。
この爽やかさが女子生徒に受けるのだろう。
いやに冷静な気分で、そんなことを考える。
(身体がフワフワする)
今起きていることが現実とは思えなかった。
(きっと、夢を見ているのだわ)
他の先生方がわざわざ保護者の前に自分の非を晒すわけが無い。
それも自分を守るために。
私はきっと、都合の良い夢を見ているのだ。いつかのように。
「僕は生徒に嫌われるのが怖かったのです。この学校の生徒会には全校生徒にアンケートをして先生にランキングをつける習慣があります。僕は何年もの間、人気ランキングの上位にいました。それはいつの間にか僕の誇りになっていました。渡辺さんは、可愛く、クラスの男子からも女子からも指示される、中心的な存在で、彼女に嫌われたらクラス全員に嫌われてしまうのではないか。そうなれば、自分の人気は落ちてしまうのではないか。そんな馬鹿げたことに僕は囚われてしまったのです。教師として最低です。申し訳ありませんでした」
吉川先生の隣で、加賀先生が勢いよく頭を下げた。