大海の一滴
「妻が大変な失礼を致しました。全く、モンスターペアレントというのはああいうのを言うんですね」
母親集団が出て行ったドアの向こうを、まるで害虫でも見るかのように侮蔑的に眺め、気を取り直したように胸元から名刺入れを取り出す。
「あんなのがうじゃうじゃいたら、学校側も大変でしょう。私は今後、このような教育問題について深く掘り下げ、改革をしていくつもりでおります。共に連携を取れれば幸いです。何卒、宜しくお願い致します」
爽やかな彼の笑顔が本物でないことは明らかだった。
議員選挙に出馬する渡辺さんは、娘のためでも妻のためでもなく、自分を売る絶好のチャンスとばかりに、この場所へ乗り込んできたのだ。
一見爽やかなこの人は、自分の出世のためなら家族すらも売れる、恐ろしい局面を秘めている。
秋野さんのセリフ、その続きを思い出す。
『それに、苛める側の生徒も大きな問題を抱えていることを、今のあなたは知っているはずよ。そして大人で教師のあなたは、それを受け止めることが出来るわ』
(渡辺さんもまた、被害者なのだわ)
温かな何かが、身体中に流れ込むのを感じた。瞬間、麗子は思った。
(一哉に会わなければ)
一哉に会って、私は一部始終を話さなければいけない。
そして彼に言わなければ。
『私はもう、大丈夫』と。
何故そう思うのか、それは麗子にも分からなかった。