大海の一滴
『院内学級は居心地が悪い』
しばらく経つと、私とさちちゃんはそう考えるようになりました。
あの教室の匂いも、いつも監視している白衣の男性も、誰かの咳き込む音も何もかもが不快に感じられたのです。
その頃の私達は、自由も身体の肉もすっかり奪われ、ただ剥き出しの神経だけが僅かな刺激に過剰反応を示していたのです。
私達は自然と教室から遠ざかり、代わりに私の病室へさちちゃんが忍び込んで来るようになりました。
患者同士が病室を行き来することは原則禁止されていましたが、私もさちちゃんも病状の悪化が著しかったせいか、先生方も目をつぶってくれていました。
病院の経営陣と警備の人間は最低でしたが、勤務医や看護士さんの中には心優しい人もいたのだと、今話してみて分かりました。
気付くのが少し遅かったですね。
体調の悪い日や面会日を除いて、さちちゃんは始め毎日やって来ました。
彼女はいつも片手に文庫本を持っていて、私の部屋へ来ると窓際の定位置に面会用の椅子を運び、そこへ腰掛けて読書をしました。
私はその傍らで母が面会日に纏めて持ってくる学校のプリントを片付けたり、ヘッドホンでCDを聞いたり、さちちゃんから借りた本を読んだりして過ごしました。
私達は別段会話をすることもなくお互い別々の事に集中し、しばらくすると活字に飽きたさちちゃんが私に話しかけ、私もそれに応え、そしてまた別々の事に没頭しました。身体が疲れるとさちちゃんは唐突に立ち上がり「また明日ね」と帰って行きます。
私達の時間は、毎日ほんの三十分から長くても一時間程度のものでした。
どちらかと言うと、さちちゃんと私は同じ空間で束の間の時間を共有する。
そんな関係でした。
日常の習慣のようなものです。
朝起きて日差しを浴びる。食事をしたら歯を磨く。検温する。診察を受ける。
それらと同系列のところに、さちちゃんとの時間はありました。
私が覚えているさちちゃんの印象について、手短に話します。