大海の一滴
前日、彼女が私の所へ来ない事から、それは面会の翌日だったのだと考えています。
さちちゃんは、手にした本を読むでも無く、延々とくだらない話を続けるのです。
いつもより多く笑う彼女は、どこか痛々しくもありました。
会話に疲れると、彼女は決まって同じ質問を私に投げかけるのです。
「ねえ、つきちゃん。例えばの話なんだけど、この世に二人の私が存在するとして、一人は元気いっぱいの私、もう一人は病弱で、本を読んだり辞書で変な言葉を引いたりするだけで、しかも変な妄想ばかりしている私だとしたら、みんなどちらの私を選ぶと思う?」
私に尋ねているのか、それとも自分に問いかけているのか、窓から遠い海を眺める目は虚ろで、憎悪のようなものが光っているようにも見えました。
『私は、想像力豊かなさちちゃんが好きよ』
そう言ってあげれば良かったのかもしれません。
でも、私は何も答えられなかった。
病気のせいで大切な人に迷惑をかけている。
それは私自身が痛いほど感じていたことですし、母も元気な子供が欲しかったろうと、いつも申し訳なく思っていたからです。
嘘やお世辞が話せるほど、当時の私は大人でもありませんでした。
それに、翌日になるとさちちゃんはいつもの彼女に戻っていたので、そこまで重大に考えていなかったのも事実です。
「この病院の怪談、つきちゃんは知っている?」
そう始まった会話が、彼女との最後でした。