大海の一滴
 本当の事だ。

 父が脳梗塞で倒れたきり、帰らぬ人になったのはもう何年も前の事である。
達之の結婚式に参加し定年退職を迎え、赤いちゃんちゃんこを羽織って、しばらくしてから孫の美和も生まれ「もう思い残すことはない」と本人もよく笑っていた。
 日本男性の平均寿命にこそ届かなかったが、彼の人生はそんなに悔いるところも無かったように思う。

「だから、逆に気にされるとこっちが恐縮してしまいます」
 もう一度達之が笑うと、秋野月子はそうですか。と複雑な面持ちで頷いた。

「では質問の続きを……亡くなられたお父様はもしかして、児童福祉関係の仕事をされていたのではありませんか?」
「そうです。よくご存知ですね。確か児童福祉司と言う奴だったと思います。児童相談所で、いろいろな問題、まあ、多くは虐待に関するものだそうですが、そんなのを抱えている児童や保護者の相談相手をしたり、虐待が酷い場合適切な対策を講じたり、そういった仕事をしていたようです」

「お父様が、海辺の町で働いていたことは?」
「……実家は山間部で、父の職場もそこにありました。ただ」

「ただ?」
 秋野月子が引き取り、聞き返す。

「いえ。何でもありません」
 達之は言葉を飲み込んだ。

 やっと話が読めてきた。



 ここへ来る前にふと思い浮かんだ風景。

 青い作業着姿の父と海辺の町。




 秋野月子は、病室の窓から見た青い作業着の男性を達之の父ではないかと考えているのだ。








< 129 / 240 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop