大海の一滴

 検査結果がすぐに出る、大きくて設備の整った病院を午前と午後に一軒ずつ予約して、脳や内臓に関するあらゆる検査を受けた。
 けれど、CTもMRIも、血液検査でも異常は認められなかった。

 首を傾げた無能な医者達は、麗子が教師をしていると分かった途端、口を揃えたように「心療内科へ行け」と勧めて来たのだ。

 処方される薬もほぼ同じ。
 睡眠導入剤、胃腸薬、ごく弱いタイプの安定剤の三種類。

 結果に納得がいかなかった麗子は、念のためにと手帳にメモしておいた第三候補の病院を訪れ、一時間以上も待って診察を受けた。
 それなのに結局また同じ。
 
(私はその辺のか弱い教師とは違うのに)

 ここ数年、教職に対するイメージの悪さは、内閣総理大臣の支持率低下と同じくらい甚だしい。

 それもこれも、視聴率目当ての下劣な報道番組が『質の落ちた教師』VS『モンスターペアレント』とか、『増加する子供の犯罪は誰のせい』とか何とか言って面白可笑しく煽り立てるせいだ。

 個性を持たない日本人は、すぐにマスメディアの言いなりになる。

 おかげで『小学校の教諭』という麗子の肩書きには分厚い泥が付着してしまった。
 プライドの高い麗子にとって、これほど屈辱的なことはない。

「夏川さん、先生になったんでしょ? すごいよね」と言っていた知り合い達が、「教師って大変なんでしょ。身体大丈夫? 何かあったら言ってね。愚痴なら聞くから」と哀れんでくるのだ。

 もちろん、彼女達に愚痴をこぼすなんてまっぴら。

 女の『賞賛』は『嫉妬と憎悪』であり、女の『同情』は『優越感の現れ』であることを麗子は十分理解している。

 麗子が教師になったのは、ただ単に、両親が高校教師だったからである。
< 16 / 240 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop