大海の一滴
教師になってからも、生真面目で勉強熱心な麗子は、時間を見つけては大きな図書館へ足を運び、教育に関するあらゆる知識を漁っている。
そうすることが教師としての自分を成長させると信じているからだ。
殊、教育心理学については、多くの文献を読み漁っている。
子供達が考えていること、嘘をつく心理、成長過程での心の変化が著者によって多種多様な解釈でなされ、褒め方、叱り方等、実践への応用も文献ごとに異なり面白いのだ。
その中でこれはと思うものを見つけては、自分の生徒に試してみる。
失敗することもあるが、成功した時、特に厄介な生徒が心を開いてくれた時の高揚感は、一種の麻薬に近いものがあった。
もう一度、味わいたい。
今度はもっと強いものを。
だから文献を漁る。
そして試す。
いつしかそれは、麗子の生きがいになっていた。
何事にも頓着しない麗子が初めて熱中したことと言ってよい。
どうしてこれほどまで教育心理学にのめり込むのか。
それは自分でも分からなかった。
罪悪感はある。
生徒を実験台に使っているのではないか。
教育者として間違っているのかもしれない。
親が知ったら、恥ずべき娘だと勘当されるかもしれない。
教職を罷免されたらどうしよう。
そんな風にグルグル考える時もある。
けれど、その心配とは裏腹に、麗子の評判は日に日に上がっていった。
教員八年目の今年はとうとう全校生徒アンケート『担任になって欲しい先生ランキング』で第三位にまで選ばれた。
「過程より結果が全て」
そう教育されて育った麗子には、それが答えだった。
保護者との関係も順調だ。
「夏川先生のクラスになれて嬉しく思います」
「安心して子供を任せられます」
連絡帳のコメント欄にそんな言葉がしばしば並ぶ。
つまり、近年騒がれている学級崩壊やモンスターペアレント等の社会問題と、麗子は別次元にいるのだ。
麗子自身、人並み以上のストレスを感じているとは思わない。
数年前からリフレッシュのつもりでヨガ教室にも通っている。
日々の食生活にも気を使い、心身共に大抵の人より健康的なはずだ。
なのに、どうして……。