大海の一滴
もう一人のれいこは、死んだ魚の目をしている。
れいこの手には、真っ黒で得体の知れない丸いものが乗っかっていた。
それは、まるで呼吸をしているように縮んだり膨らんだりを繰り返している。
海の底のれいこは、相変わらずうつろな目をしたまま、小さな両手を差し伸べ、れいこからその黒いものを貰い受ける。
それは、静かにそしてゆっくりと彼女の内側に吸収されて行った。
「さあ、もう大丈夫。君はもう苦しまなくてもいいんだよ。次に君が目を開けた時、君は、この町へ来る前の君に戻っている。でももし、君が大人になってその記憶を必要としたなら、~駅東口の~ビルのバーに来て。バーの名前は……デメニギス。アルファベットでde Menigisu」
「デメニギス?」
「そう、まだその生態は詳しく分かっていない深海魚だよ。だけど僕は、きっとあの少し大きい頭の中に、綺麗な清水が詰まっていると思うんだ。神秘的で不思議な魚の名前だよ。僕はそのバーで美味しいモスコミュールを君に作ってあげる。そしたら、そしたら君は僕を……」
近くでシェーカーの音が聞こえた。
目を開く。それから麗子は、もう一度目を閉じた。
「あなたは、……カズ君なのね」
悲しそうに微笑む一哉の姿が、閉じた目の奥に映し出された。
「いろいろ、嘘ついててごめん」
コトリ。
再び目を開く。差し出されたショートカクテルは、美しい琥珀色をしていた。