大海の一滴
「つまり、不備があったとは言えお前の魂を早く回収してしまったのは事実であるから、実験……特例としてお前をもう一度現世に戻すことにした。しかし、お前が戻るためにはお前と強い因果を持ち、迎えるべき人生が変化した者の命を一つ摘む必要がある。これは輪廻の理であるから、人間達の言う人殺しなどとは別次元である。つまり、お前はそのようなことは気にする必要は無い」
神様の話は難しすぎてよく分からなかったが、神様に無礼を働いてはならない。
私は、非常に感慨深く頷いた。
「それからもう一つ。質問をしても宜しいでしょうか?」
「うむ」
神様は寛大である。
「今回は神様のお力で上手くなじんでいますが、死んだはずの私が戻ってずっと生活をし続けたら、みんなそのうち気づくのでは?」
私は不審者になりたくないのである。
「そんな心配は無用である」
神様は自慢の髭を撫で付けた。
「人間の記憶なんてものは元来不正確なのだ。お前は、まあ、まだそんなに生きていないから分からないだろうが、大人になった人間は皆『昔は良かった』と口にする。当時はそれなりに苦労して、悩み苦しみ、もう嫌だと嘆いた当人が、たった数年で、同じ過去を幸せだったと錯覚し始める。それは辛かった真実の記憶が削除され、美しい偽りの記憶にすり換えられからに他ならない。そして歳月の経過とともに、偽の記憶は真実として定着していく。私の膨大ですばらしい人間研究によれば、知性と教養を身につけた人間は、代わりに本能を鈍らせて生きているのである。特に常識人と呼ばれる大人は自分で自分を騙すのが上手い。まあ、つまり、大丈夫である。……たぶん」
最後の「たぶん」は、聞かなかったことにした。
「それで? 誰にしたのだ?」
今度は神様が尋ねたもうた。
「はい。この人にしようと思います」
私は一度神様からノートを受け取り、最後のページを開いた。
そこには神様がピックアップした候補者の名前が書いてある。
その一、 藤川(春野)美絵子
その二、 藤川 美和
その三、 夏川 麗子
その四、 早瀬 一哉