大海の一滴
TATUYUKI
ガチャリ。
達之は恐る恐る玄関の戸を開いた。
「……ただいまぁ~」
蚊の鳴くような声で帰宅を告げる。
おかえり。
そう返事が来たら卒倒するかもしれない。
幾つになっても幽霊とかお化けとか、そう言った意味の分からないものは怖いのだ。
途中、道路沿いに面した窓を見上げると、遮光カーテンの内側から蛍光灯の明かりが薄く漏れているのが見えた。
リビングに『誰か』がいることは明白だった。
そろりと革靴を脱ぐ。
そろり、そろりと、なるべくリビングを見ないように、つま先を見つめ短い廊下を歩く。
出来る限り恐ろしいことは後回しにしたい。
「おかえりなさい」
不意に声をかけられた達之は、ビクッと仰け反った。
「ふふ。どうしたの? そんなに驚いた顔して」
いかにも面白そうに、明るい声が笑う。
それは、聞き覚えのある声だった。
「……美絵子?」
コバルトブルーのワンピースを着た美絵子が笑う。
なんとなく、懐かしい服だった。
(あれ? オレは何を怖がっていたんだっけ?)
「おかえりなさい」
穏やかな声が、もう一度達之の帰宅を向かえた。
「ただいま」
そう呟いて、首を傾げる。
「どうしたの?」
美絵子も不思議そうに首を傾げた。
「ええと……」
少し笑って、細くしなやかな身体を抱きしめてみる。
首筋に鼻を近づけると「くすぐったいわ」と美絵子は笑い、するりと離れた。
(??)
香水を変えたのだろうか?
ほんの少し、美絵子とは別の匂いが雑じっていた。