大海の一滴
「けどその時、フッて、麗子にかけた催眠術のことが浮かんだんだ。あれを解けるのはオレだけなんだって思ったら、不思議と力が湧いてきて、麗子のためにもここを買い戻してバーをやろうって決めた。それから、もしあの催眠術がまだ有効なら、いつか来る麗子に相応しい男にならなきゃいけない。そう思って、自分を変える努力も始めたんだ」
改めて一哉を眺める。
細くしなやかで適度な筋肉が付いた無駄の無いボディや、女性ファンが出来るくらい爽やかな笑顔も、そして常に前向きで向上心の塊のような性格も、みんなに馬鹿にされ、下ばかり向いていたカズ君とは、まるで別人のようだ。
麗子があの町とカズ君を忘れている間も、一哉は自分を変える努力をし続けていた。
分かってる。
こんなに自分を思ってくれる人が、一哉以外にはいないことは。
十分分かっているつもりだ。
でも。
麗子は目を閉じた。
「私は、私はずっと、あなたのことが好きなのかどうか分からなかった。だから、一哉が私に尽くしてくれることが時々重荷に感じていたわ。そんな風に考える自分のことも嫌いだったし、ずっと、苦しかった」
「…………」
興奮気味の一哉が、また、言葉を失う。
私は一哉を傷つけたくないのに。
そう思いながらも、止められない。
「あなたがプロポーズをしてくれた時も、私は仕事や体調のせいにしていたけれど、今思えばそれ以外にも理由があったように思う」
性格もスタイルも申し分のない一哉。優しい一哉。
だけど、私が好きになったわけではない一哉。
その一哉に告白をして、デートを重ね、同棲までしていた滑稽な自分。
それが、どうしても許せない。