大海の一滴
「一哉がずっと支えてくれたことには感謝している。本当よ。だけど、でもね、あなたが私を騙していたのも事実だわ。私は、私は今までずっと騙されて付き合っていたのかと思うと私」
のぼせたように血が一気に逆上し、上手く話が纏まらなかった。
それが更に混乱を呼ぶ。
「私……」
一哉の温かい手がふわりと麗子の頭を撫でた。
それはいつかのおばあちゃんの手の平に似ている気がした。
「分かった。分かったから。大丈夫だよ」
いつもの穏やかな声だった。
「大丈夫。オレが一番良く分かってるからさ」
顔を上げると、そこにいつもの一哉の、爽やかで屈託のない笑顔があった。
途端に、後悔が押し寄せる。
「んじゃ、膳は急げってことで、ちょっと違うか。取り合えずオレ、今から家戻って必要な荷物取って来るよ。細々した奴は、麗子がいない時に取りに行く。麗子はここで少しゆっくりして、気持ちが治まったら頃合を見計らって帰ってちょ。これ、タクシー代ね」
「こんなの貰えないわ!」
「最後なんだし、それぐらいオレの顔を立ててよ」
一万円札を麗子に握らせた一哉は、ぎこちなくウィンクをして「そんじゃ宜しく~」と、あっさり店を出て行った。
一哉のとことん明るく軽い口調が、麗子へ向けられた最後の優しさであり、それは何年もの間、麗子を支え続けたものだと、今更気が付いた。
終わってしまった。
こんなにも、あっさりと。
頭の中が、真っ白になる。