大海の一滴

 誰もいないバーカウンターに、話しかける。


(だってさ、麗子、いろいろ大変そうだったから)

 一瞬、シェーカーを振りながらニカッと笑う一哉の姿が現れ、消えた。

 そうだった。

 一哉はいつも自分のことを後回しにして「麗子が幸せなら、オレも幸せ」と笑っていた。


 ズキン。
 胸が、痛む。



(本当に、それでいいの?)




 ざわざわと心が騒ぐ。




「でも、この先も私は一哉をきっと傷つけるわ」

 嘘は大嫌い。誘導された恋なんて所詮偽者なのだ。
 だから私は、きっとまた一哉を傷つけたくなる。




『やっぱり偽りは真実にならないんだな』
 哀しそうに笑う一哉が現れ、また消えた。……苦しい。


「これでいいのよ」
 振り払うように呟いた。


 これでいい。夢がいつか覚めるのは、夢が偽りだからだ。




(ファイナルアンサー?)
「ええ、そうよ」


 頭の中の質問に、怒鳴るように回答して、ショートグラスを一気に煽る。

 忘れるのだ。

 このカクテルと一緒に全てを流して。








 え?





「アルコール、入ってないじゃない」

 モスコミュールに似た、ふくよかで生姜の辛味が利いた豪華な味わい。
けれど、思考を麻痺させてしまうお酒の姿がどこにも見当たらなかった。


 カクテルのレシピを間違えてしまうほど、一哉の心は動揺していたのだろうか。




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