大海の一滴
『琥珀ってあるだろ? あれは木の樹脂が地中に埋没して長い年月をかけてゆっくり固化したものでしょ? だからダイヤモンドとかオパールなんかとは違って、最初っから宝石だったわけじゃない。最初は見向きもされないただのヤニで、僕宝石になりますって言っても、嘘だろって誰も信じない。けど、それが長い年月をかけてじっくりゆっくり輝いて、本物の宝石になるんだ。偽りと思われていたものが、いつの間にか本物になって、誰かに必要とされるまでに成長していく。それって、すごいことじゃん。んで、モスコミュールはその琥珀の色をしてる。だからこだわっちゃうのかな、よく分かんないけど。でも、オレもいつか、ただのヤニから麗子が必要とする宝石になりたいっす。なんつって』
「一哉!」
麗子は叫び駆け出した。
大丈夫! きっと、懸命に走ればまだ追いつける。
(やっぱり、だめよ。このまま終わっていいはずない)
麗子は細い路地を必死に走った。
一哉との積み重なった琥珀色の三年間が蘇る。
(一哉)
グキっと鈍い音がして、右足に履いていたミュールのヒールが折れた。
それを捨て、片方の靴を突っかけたまま走る。
(信じられない? 違うわ。ただ私が一哉を信じればいいだけじゃない)
いつも一哉がそうしてくれていたように。
走りにくい。もう一方の靴も脱ぎ捨て、裸足になる。
追い付こう。
追い付かなければ。
一哉に。