大海の一滴
「ビックリした? こういうのやってみたかったんだよね」
麗子の困惑を、一哉は好意的な驚きと受け取ったようだった。
一哉は常にポジティブで、プラス思考だ。
「麗子と付き合ってもう結構なるしさ、そろそろ形にする頃かなと思って」
まるで悪意のないキラキラ輝く瞳で、一哉は麗子に笑いかける。
麗子は長い睫毛を伏せて、真っ白いテーブルクロスへ視線を落とした。
染み一つない、人工的な漂白色をただぼおっと眺める。
慎重に言葉を選ばなければ。出来るだけ一哉を傷付けないように。
「一哉、私決して嬉しくないわけじゃないの。いいえ、本当に嬉しいわ。だけど、でもね、今私それどころじゃなくて。前にも話したと思うけど、仕事が上手く行かないというか……、なんていうか体調が可笑しくて。それでね……」
考えれば考えるほど、泥臭い言い訳が空気中に沈んでいく。
息苦しい。
得体の知れない液体の中に溺れていくみたいだ。
「分かった。分かったから。大丈夫だよ」
気が付くと、一哉は穏やかに笑っていた。
「大丈夫。これもいきなり思いついちゃっただけだからさ。そんな真剣になられると、こっちが困るじゃん」
ニッ、一哉は笑った。
途端に麗子は酷い罪悪感に苛まれ、後悔がドッと押し寄せる。
どうして私は断ってしまったのだろう。ただイエスと言えば良かったのに。
指輪が思いつきでない事は分かっている。
手にとってはめれば、きっと左手の薬指にフィットするだろう。
サイズを聞かれたのはもう何ヶ月も前の事だし、思いつきで高価なモノをポイと買えるほど、一哉の給料が高くないことも知っている。
それなのにいつも一哉は言う。
分かったと。
大丈夫だと。
優しく、穏やかな表情で……。