大海の一滴
さらに遅いタケシ君の登校。わめきながら、もう一個の黒板消しで上から下に真っ直ぐ消していく。
意外なことに彼は几帳面なようである。
「さち、なんかあったら言ってね。あたし相談にのるから」
アヤネちゃんだけが、深刻そうな顔をして言った。
『そんなに気にすることないっしょ』
アリサちゃんとタケシ君が同時に言って、二人ともちょっと嬉しそうな、嫌な顔をした。
まあ、めでたし、めでたしである。
キーンコーン、カーンコーン。
朝のチャイムが鳴って騒動は終了。
ガヤガヤとみんな席に着き始める。
「ママが言うにはね、男の人と噂になるのはフェロモンが出ている証拠なんですって」
前の席の愛美ちゃんが、にっこり笑って教えてくれた。
ということは、愛美ちゃんママみたいな色っぽい大人の女に一歩近づいたのだ。私はほくそえんだ。
(きっと、もう少しに違いない。努力して早く大人の女にならなければ)
私の決意はとても固い。
「はい、それでは朝の会を始めます」
まあまあ美しい麗ちゃん先生が、教室へ入ってくる。
「起立!」
リーダーの渡辺さんが命令を出すとクラス中が立ち上がる。
これからまた、一日が始まる。
それにしても『事実は小説より奇なり』とはよく言ったものだ。
流石の私もこの顛末は予想出来なかった。
う~む、昼ドラは奥が深い。
「着席」
「今日は最初にプリントがあります。家庭訪問のお知らせです。お家の人用なので、家に帰ったら忘れずに渡して下さいね。では順番に配って行きます」
順繰りにプリントが後ろへ回されて行く。
「先生! 今日はぴったりで~す」
リーダーの渡辺さんがおどけて言うと、クラス中が笑った。
ふと気が付けば、机でうつむいていたはずのタケヒロ君が、いつの間にかいなくなっているのであった。