大海の一滴
新しく借りた部屋は二〇二号室。
四戸二階建てハイツの一番奥の部屋である。
荷物は単身用の小さなトラック一台で納まった。
二人分にしてはかなり少ない方だ。
にも関わらず、全てを部屋に運び入れるまでに、三十分もかかってしまった。
その間炎天下の中で、一哉とおそらく二十歳そこそこの引越し業者のお兄さんは、重い荷物を抱え古びた鉄筋の階段を何度も往復していた。
麗子は一哉の計らいで、部屋に運び込まれたダンボールを受け取る作業に没頭していた。
まださえぎるものの少ない部屋は、開け放したドアと窓から自由に風が行き交い、冷房が無くても適度に涼しく快適と言えた。
麗子が外へ出たのはついさっきのこと。
それなのに強い日差しでもう身体中が汗ばんできている。
「よ~し。一段落ってことで、部屋入って休憩でもしよっか」
フゥと、一息付いた一哉が爽やかに笑う。
まるで小さな子供が母親の手を引くように、一哉は麗子の手を強く握って階段を駆け登る。
ペンキが剥げかかった薄桃色の階段はかなりの急勾配で、上りきると少し息切れがした。
体力には自信があったはずなのに、こういうところで三十路という言葉が脳裏に浮かぶ。
健康管理、体力作りに勤しんでいても、人は必ず衰えていく。
早生まれの麗子が他の同級生を羨ましがっていたのは遠い過去の話。
もう若くはないのだ。
まだまだそんな事を語る年齢ではないと思いながらも、学校で生徒達のはつらつとした姿を見るにつけて、そして、二つ年下の元気な一哉を見るにつけても、やはり若くないんだわと実感してしまうのだ。
こんなに急な階段を、重い荷物を抱えて上り下り出来る一哉はまだ若い。
(二つしか違わない。けれどそこには大きな差があるのだわ)
二十八歳の一哉を眺め、麗子は溜息を付いた。