大海の一滴

 新居は冷蔵庫と洗濯機を除いて、所在の定まらない家具とダンボールが倉庫のように無造作に積み重なり、まだ『家』と呼べる代物ではない。
 麗子は辺りを見渡し、仕方なく窓際に寄せたソファーに座り顔をしかめた。
なんとなく、埃臭い。

(早く片付けないと、夜になってしまうわ)

 とりあえず、電気とカーテンとベッドだけでも設置しないと。

 そう頭では考えているのに、身体はもうソファーと一体化している。
大した作業もしていないのに、座ると一気に疲れが押し寄せてくるのだ。

「ちょっと待っててねん」
 元気な一哉は、キッチンの辺りで何やら作業をしている。
やっぱり、一哉は若い。
 麗子はまた溜息を付いた。



「お待たせ~」
 しばらくして、一哉が二つのタンブラーを運んでくる。

「何?」
 麗子はその中身を覗き込んだ。

 銀色のタンブラーは表面に小さな水滴を付着させ、段ボールの開封作業ですっかりむくんでしまった手に心地よい。
 中の発泡性の液体はシュワシュワ音を立てて弾けている。

(この香り……)
 
 口に含むと、ライムの酸味と生姜独特の辛味と甘味が鼻に抜ける。

 一哉が働いているバーの、オリジナルの味だ。

「麗子はウチの店のモスコミュール好きでしょ? だから家でも飲めるようにこれ作っといたんだ」

 小さなカウンターキッチンに戻った一哉が、広口瓶を掲げて笑う。

 その動きに合わせて琥珀色の液体と、底に沈んだ大量の薄切り生姜が大きく波を作った。

 ジンジャーウォッカだ。

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