大海の一滴
「あ、パパ。やっと起きたの?」
 ぱたぱたと美和が駆け寄って来る。

 こういう時、可愛い娘も少しウザイ。
が、昔の偉い人は言っていた。


 なんとかとハサミは使いよう。

 達之はソファーにドカッと横たわり、猫撫で声で美和を呼んだ。

「美和ちゃん。パパにお水を持って来てくれないか?」
「いいよ~! ちょっと待ってて下さいね~」

 嬉しそうに美和がドタドタとキッチンへ走って行く。
(止めてくれ……)

 動くモノを見ると吐きそうになる。

「パパ。はい、お水」
「おう、ありがとう」
 コップになみなみと注がれた水を一気に飲み干し、またソファーに横になる。

「パパダメそうねぇ」
 まるで美絵子のような口ぶりで、美和が呟いた。達之は目をつぶる。

「パパちょっと具合が悪いんだ。ママは?」
「いないよ」


(やっぱりな)


 気持ち悪過ぎて溜息さえ出ない。

 リビングに来てみて美絵子がもういないのは分かっていた。
昨日達之が汚した部屋が、すっかり元通りになっていたからだ。


(ダメだ、具合が悪過ぎる)
 今何かを考えるのは無理だ。今後の事は後から考えよう。

 達之はゆっくりソファーから起き上がった。

「美和、パパもうちょっと寝てくるから、一人で遊んでてくれるかな」
 この最悪な状態で、美和の相手は出来そうに無い。
「うん」

(あれ?)
「本当に大丈夫か?」

 いつもなら、「美和も一緒に寝る」とか駄々をこねるのに。
「うん、大丈夫。お姉ちゃんもいるし」

「お姉ちゃん?」
「うん、さちお姉ちゃん」

「ああ、そうか。喧嘩するなよ」
「うん、パパおやすみ~」


(なんだか、あっさりしてるな……)

 達之は頭を掻きながら、のそのそと寝室へ向かった。ぐずられると頭に来る。が、ここまで簡単に引き下がられると、ちょっと寂しい気もする。


(こうやって、親から離れていくんだな)


 ウップ。


「ダメだ。余計なことは考えず、ひたすら寝よう」

 明日からまた忙しい日が始まる。

 達之は布団を頭からすっぽりと被り、目を閉じた。

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