大海の一滴

 先週の日曜日に行われたセミナー「子供を守る保護者の言い分」を彼女もまた傍聴していたのだ。


 結局、モンスターペアレントの話ばかりで目新しさも無く、麗子は開始一時間を過ぎた頃に見切りをつけて途中退場した。

 参加も退場も自由のセミナーは、大学のオープンキャンパスの一環だったのだ。
 他にもパネル展示や学生の催し物がいくつかあって、食堂やカフェテリアでは限定スイーツの販売も行われていた。
 小さな大学のオープンキャンパスにしては、随分賑わっていたように思う。


 そんな中、後ろ姿だけで秋野さんを判別したことに、そして、無意識に彼女の名前を呼んでいた自分に麗子自身驚いた。

 呼ばれて振り返った彼女の方はもっと驚いていたかもしれない。

 けれど、大学の頃から、秋野さんは喜怒哀楽を極端に表に出さない。

 だから実際のところ、彼女が驚いたかどうかは分からなかった。


「セミナーで、いきなり呼ばれて驚いたわ。そんなに私変わっていなかった?」

 麗子の心を読んだかのように、プリントから少し目を上げた秋野さんが微笑む。

 彼女の笑顔は、ひんやりした美しさを含んでいる。



 懐かしい笑顔だ。



 この笑顔を初めて見た時、月子という名前が似合う笑顔だと思ったのだっけ。


 麗子も微笑みを返した。

「自分でも不思議だったの。大学卒業以来だから八年ぶりなのに、よく分かったなって」
「お互い三十代ね」

 秋野さんは三十という言葉に何の抑揚もつけなかった。

 それはまるで、今日は日曜日です。とか、今は午後三時ですといった単なる事実を述べる言い方だった。

 三十代と言ったのは彼女が一浪して大学に入っているからだろう。

 秋野さんは麗子より一つ上だ。

 早生まれの麗子と比べると、ほぼ二つ年の差が生じる。

 けれど彼女の言葉には悲観的な感情など一切含まれていなかった。



 ああ、この淡々とした喋り方が、昔から好きだった。


 そんなことを改めて思った。




「それじゃあ、テストの結果と夏川さんとのカウンセリングの内容から、私の見解を述べるね」

「ええ……お願いします」








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